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プロを目指した右腕は、なぜ指導者を育てる側に立ったのか——同志社大学硬式野球部OB 國正光氏

大学で体育会に身を置いた時間は、卒業後の人生にどのような影響を与えるのでしょうか。今回お話を伺ったのは、同志社大学硬式野球部出身、株式会社iniasu(イニアス)代表取締役の國正光氏です。大学時代は硬式野球部の投手としてプレーし、卒業後は社会人野球でプロを目指す道へ進みました。その後、怪我をきっかけに競技の第一線を退き、大手人材会社で人材ビジネスと人事の仕事に従事。現在は、スポーツ指導者向けにコミュニケーションやチームビルディングを体系化した研修を提供する会社を経営しています。競技者として、ビジネスパーソンとして、そして起業家として挑戦を重ねてきた國正氏に、これまでの歩みと現在の取り組み、そして今後の展望について伺いました。

 

——一般入試から飛び込んだ同志社大学野球部での4年間

 

國正氏は同志社大学経済学部に、スポーツ推薦ではなく一般入試で入学しました。入学後は硬式野球部に所属し、投手としてプレーをしていました。当時の野球部は部員数が約130名ほどで、その多くが指定校推薦やスポーツ推薦の選手でした。一般入試組は各学年で数名程度という環境だったそうです。チームは関西学生リーグの上位常連で、國正氏が入学をしてからは4期連続優勝中のいわゆる黄金期でした。その中で國正氏は、3年次以降エースとしてもチームを牽引しながら、ピッチャー陣の責任者を任され、練習メニューの作成や若手投手の育成にも携わるようになりました。「副キャプテンのような立場で、技術面だけではなくピッチャー陣の状態を見る役割を担っており、勝つことが当たり前とされる組織に身を置く中で、結果への責任や、組織づくりの難しさを強く感じていました。」と國正氏は語ります。競技力の高い集団の中で役割を持ち、自分の強みをどう発揮するかを考え続けた経験が、その後のキャリアの土台となっていました。

 

 

——プロへの挑戦と社会人野球、その後の引退という決断

 

國正氏は1年時から試合に出続ける中で徐々に、プロ野球選手になることを意識し始めるようになり、更に上のレベルでプレーをしたいとプロ野球選手になることを目指し始めました。しかし、ドラフト指名には至らず、卒業後は社会人野球の道を選択しました。進路選択を行う場面では複数の企業チームから声がかかったものの、怪我の影響で話が流れてしまうなど、思い通りに進まない時期もありました。最終的に選んだのは、入社と同時に新しく野球部を立ち上げるタイミングの企業でした。ゼロからチームをつくるフェーズに関われる点を魅力に感じ、3年でプロに行くことができなかった場合、引退することを入社時に決めて意思決定しました。しかし、社会人野球の世界でも怪我に悩まされ、入社から約2年で現役を引退する決断を下します。長年追い続けてきた夢を手放すことは簡単ではなかったとのことでしたが、この経験がその後のキャリア選択に大きな影響を与えることになります。

 

——セカンドキャリアとして選択した大手人材会社

 

競技を離れた後、國正氏がセカンドキャリアとして選択したのは大手人材会社です。理由の一つは、自身が怪我で進路に悩んだ際に、周囲の社会人から多くの助言や支援を受けたことだと話します。そういった経験から自分もいつか、同じようにキャリアに悩む人を支援できる存在になりたいと考え、実際に大手人材会社への入社を決定しました。また、野球とは異なるフィールドで”本気で成長できる環境”に身を置きたいと感じたことも、もう一点の意思決定の理由です。入社後は法人営業として製造業の中小企業を中心に担当し、経営者と直接対話する機会を数多く経験します。CMでは流れない実は世界トップシェアの無もなき企業から、あえて事業規模を縮小し、社員の幸福を重視する企業まで、多様な価値観に触れる中で、「組織を率いるとは何か」「人に投資するとはどういうことか」を考えるようになったと話します。その後、人事部門へ異動し、自社採用にも携わります。無形商材を扱う大手人材会社が、どれほど人材への投資を重要視し、採用に力を入れているのかを目の当たりにして、組織づくりの奥深さを実感したそうです。

 

 

——30歳の節目で起業を決意した理由

 

國正氏が起業を意識し始めたのは、30歳という年齢を一つの節目として捉えたことがきっかけでした。また、それに加えて大きな転機となったのは祖父の葬儀でした。多くの人に感謝されながら見送られる祖父の姿を見て、自分も人から必要とされ、自分が好きだと思えることに時間を使いたいと強く感じたと語ります。16年間関わってきたスポーツの世界に、今度は指導者や組織を支える立場として貢献したいという思いから、「挑戦するすべての人と組織の才能をカイホウし、社会へ還元する」をビジョンに掲げ、株式会社iniasuを立ち上げました。コンセプトはコーチ(指導者)のコーチをすることです。選手を育てる指導者自身が学び続け、成長できる環境をつくることが、結果的に競技全体の底上げ、そして人間的成長・キャリアの選択肢を広げるきっかけを作れることにつながると考えています。

 

——理論と実践を結びつけるiniasuの研修プログラム

 

iniasuは、スポーツ指導者やスポーツチームを対象に、コミュニケーション力やチームビルディング力の向上を支援する研修・コーチングサービスを提供している企業です。主な事業として、指導者向けの体系的なコーチング講座『Leaning Coach講座』や、チーム単位でのコーチングワークショップ、保護者向けのコミュニケーション研修、チームのパーパスやクレドの策定支援、指導者・選手向けの1on1コーチングなどを展開しています。その中で、iniasuの研修の特徴は、徹底したユーザーインタビューと、心理学や行動学などの理論を現場に落とし込んだワークを組み合わせている点です。例えば、「ザイオンス効果(接触回数が好意に影響する心理効果)」のような理論を、指導現場での声掛けや関係構築に応用し、実践→振り返り→改善を繰り返す仕組みをプログラムとして設計しています。創業当初は、有料サービスとして価値を理解してもらうことに苦労しましたが、徐々に導入事例が増え、現在ではJFCA日本サッカー指導者協会のライセンス関連研修の一部も担当し、延べ約1,000名近くの指導者が受講しています。社名のiniasuには「才能(ジーニアス)を孵化させ、明日へつなぐ」という意味が込められています。

 

——清水エスパルスに見る指導者の変化

 

導入事例の一つが、清水エスパルスのアカデミーです。当初は、選手を育てるためには指導者自身のアップデートが不可欠であるという問題意識から、研修導入が検討されました。複数回のセッションを経て、試合中の声掛けや選手との関わり方に変化が見られるようになり、選手が自ら考えて行動する場面が増えていったそうです。練習の雰囲気が明るくなり、結果だけでなく、選手の主体性やいきいきとした表情が増えたことが大きな成果でした。

 

 

——仕事と事業を両立するという働き方

 

現在、國正氏は大手人材会社での仕事とiniasuの経営を同時並行で行っています。時間配分はおおよそ6対4程度です。「週7日、24時間という単位で考えると、自然とやりたいことに時間を使っている感覚です。大変なこともありますが、世の中を少し良くできるサービスに関われていると思うと前向きになれます。」と語ります。野球で培った自分の役割を定義する力や目標から逆算して行動する習慣は、ビジネスの現場でも大きな武器になっています。

 

——今後の展望について

 

今後は、iniasu一本で事業展開していくことを目標としています。地方と都市部のスポーツ環境の差、指導者が学ぶ機会の偏りといった課題に対し、オンラインと対面を組み合わせた支援を全国へ広げていきたいと考えています。また、スポーツクラブのスポンサー企業からの人材相談を活かした新規事業にも取り組んでいます。才能は、環境によって簡単に閉じてしまうからこそ、それを解放できる仕組みを作っていくことを理想としています。

競技者としての挑戦、セカンドキャリアの模索、そして起業という選択を取り、挑戦を続ける國正光氏の歩みは、スポーツ経験が、競技という枠を超え、人や組織と向き合う力へ変わっていく過程そのもののように感じます。指導者の成長が、選手の可能性を広げ、競技全体の未来をつくっていくという信念のもと、國正氏の挑戦は今後も続いていきます。

 

 

 

國正光

同志社大学経済学部卒。大学では硬式野球部に所属し投手としてプレー。卒業後は社会人野球でプロを目指すも、怪我により現役を引退。大手人材会社にて法人営業・自社採用を経験した後、株式会社iniasuを創業。「コーチのコーチを育成する」をコンセプトに、スポーツ指導者向けのコミュニケーション・チームビルディング研修を提供している。