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日本テレビを辞め、母校で再び日本一へ。京大アメフト部OBが選んだ次のフィールド——京都大学アメリカンフットボール部OB 山本睦

現在、京都大学アメリカンフットボール部でコーチを務めている山本睦さん。学生時代は同部で選手としてプレーし、引退後は学生コーチとしてチームを支えました。大学卒業後は日本テレビに入社し、報道局やスポーツ局でキャリアを重ねました。しかし、「自分も日本一を目指して戦う側になりたい」という思いから、テレビ局を退職し、母校のフィールドへ戻る決断をします。

厳しい練習に打ち込んだ学生時代、入替戦で味わった挫折、そして社会人としての苦悩と成長。競技を通じて培った「枠を超える」姿勢は、キャリアの選択や仕事への向き合い方にどのような影響を与えたのでしょうか。

 

——これまでのご経歴と、現在のお仕事について教えてください。

 

2011年に京都大学へ入学し、アメリカンフットボール部で4年間、選手としてプレーしました。引退後も3年間大学に在籍し、その期間は学生コーチを務めました。コーチ1年目を経て、その後の2年間は、オフェンスの作戦を組み立てるコーディネーターを担当しました。

2018年に大学を卒業し、日本テレビに入社しました。入社後の約3年半は報道局政治部に所属し、総理番や野党担当の記者として取材をしていました。2021年の東京オリンピック直前に、かねて希望していたスポーツ局へ異動し、記者として読売ジャイアンツを担当しました。日本テレビ在籍中には、社会人アメリカンフットボールチームのコーチも務めています。

その後、2022年に日本テレビを退職し、2023年からは京都大学アメリカンフットボール部のコーチを務めています。現在は母校の指導者として、再びフットボールに向き合っています。

 

 

——競技を始めた背景と、学生時代の役割について教えてください。

 

中学と高校ではバスケットボール部に所属していました。通っていた学校は兵庫県にあり、同じ市内には強豪の関西学院がありました。中学時代は、関西学院との運動部対抗の定期戦があり、互いに意識し合う関係でした。その定期戦で勝利した経験がありましたが、高校に入ると相手にはスポーツ推薦で入学した選手も加わり、トリプルスコア以上の惨敗でした。

大学に入学した際、「打倒・関西学院」を目標に掲げるアメリカンフットボール部の存在を知りました。かつて意識していた相手に、大学でもう一度挑めることに惹かれ、入部を決めました。

大学では、ワイドレシーバーという、主にパスを捕るポジションを務めました。当時のチームは、朝から夜までクラブハウスで過ごし、1日中アメリカンフットボールのことを考えるような環境でした。1年目は、強豪校に勝つための厳しい練習についていくのに必死でした。

当時のチームは関西リーグ1部で戦っていましたが、私が4年生のシーズンは戦績が振るわず、チーム史上初めて2部との入替戦に出場することになりました。その後、選手を引退し、学生コーチとしてチームに残ることを選びました。

 

——選手時代に一番の壁だと感じたのは、どのような経験ですか?

 

一番苦しかったのは、最上級生として迎えた4年生のシーズンです。伝統ある強豪チームだという自負を持って臨みましたが、初戦から敗戦が続き、早い段階で、チーム史上初となる入替戦に回ることが決まりました。

入替戦の相手は、私が1年生の時に京都大学の監督を務めていた水野彌一さんが率いる追手門学院大学でした。当時の監督との「師弟対決」として大きな注目を集め、会場の王子スタジアムには入りきらないほどのファンが集まりました。

しかし、周囲の熱気とは裏腹に、当事者である私たちにとっては非常に苦しい状況でした。負ければ、先輩方が築いてきた歴史に傷をつけることになります。絶対に負けられないという大きなプレッシャーのなかで、試合に臨みました。

結果的には大差で勝利し、1部に残留できました。普段の試合であれば、相手の強さに関わらず競技の楽しさを感じられるものです。しかし、この試合はまったく楽しめませんでした。実力差のある相手に勝っても、喜びより悔しさや情けなさの方が大きく、ただ「早く終わってほしい」という思いだけが強かったです。

 

 

——留年を経て学生コーチになった背景と、就職活動について教えてください。

 

アメリカンフットボールに打ち込みすぎて授業に十分出られず、結果的に3年間留年することになりました。ただ、京都大学アメリカンフットボール部では、留年しながら学生コーチを務める人も少なくありません。私自身も人に教えることの面白さを感じ、指導を続けることにしました。

就職活動を始めたのは、大学6年目の12月頃です。チームからは翌年もコーディネーターを続けてほしいと言われており、当時は就職活動よりもアメリカンフットボールを優先していました。同級生より遅れてのスタートでしたが、早い時期から採用を行っている企業をいくつか受けました。

その中でメディア業界に関心を持ち、スポーツに関われる可能性のあるテレビ局を志望しました。日本テレビから内定をいただき、そこで就職活動を終えています。

学生コーチとして、毎日100人以上の部員と向き合い、自分の考えや熱量をどう伝えるかを考え続けました。その経験は、社会に出るうえでの自信にもなっていました。

 

——日本テレビに入社後、仕事で苦労したことや転機はありましたか?

 

入社後に最も苦労したのは、スポーツ局を志望していたものの、報道局政治部に配属されたことです。総理番として毎日首相官邸に通っていましたが、当初は政治に関する知識がほとんどなく、取材相手に対して引け目を感じていました。上司から指示された質問をしても、その背景を十分に理解できていなかったため、深く踏み込むことができません。関心を持ちきれない分野で、仕事に熱量を注ぎ切れない日々が続きました。

転機となったのは、上司から厳しい指導を受けたことでした。そこから政治の仕組みを学び直し、自分なりの仕事の進め方を見つけようと考えるようになりました。

コロナ禍で野党の取材機会が減った時期には、厳しい状況に置かれた飲食店を取材し、自ら企画を出しました。その結果、その企画はニュース番組で放送されました。小さな仕事でも、自分なりの視点を持って表現できるようになったことで、少しずつ手応えを感じるようになりました。そうした実績が評価され、希望していたスポーツ局への異動につながりました。

 

 

 

——テレビ局の仕事において、体育会での経験はどう生きましたか?

 

特に活きたのは、学生コーチとしての経験です。テレビ番組の制作では、自分に十分な知識がない分野でも、多くの人と連携しながら仕事を進める必要があります。アメリカンフットボール部で毎日多くの部員と向き合い、自分の考えをどう伝え、相手の熱量をどう高めるかを考え続けてきた経験は、テレビ局での仕事にもつながりました。

京都大学アメリカンフットボール部で学んだ「自分の枠を超える」という考え方も、仕事に向き合ううえで大きな支えになりました。自分のやりたい範囲やできる範囲だけにとどまっていては、それ以上の成長はありません。失敗を恐れず成長のために挑戦する姿勢は、指導者から常に求められていたことです。

テレビ局で新しい仕事に挑戦する際にも、この考え方を意識していました。自分自身も指導者として選手に同じ姿勢を求めていたからこそ、社会人になってからも大切にできたのだと思います。

 

 

——大企業を退職し、京都大学アメフト部のコーチに戻った理由を教えてください。

 

テレビ局の仕事にはやりがいを感じていました。一方で、スポーツを取材するなかで、「自分も戦う当事者になりたい」という思いが強くなっていきました。日本一を目指して戦う選手や監督、チームを支える人たちの姿を見ているうちに、取材する側ではなく、現場で日本一に挑戦する側に立ちたいと感じるようになりました。

一方で、私にはプロのコーチとしての実績があるわけでも、日本を代表する選手だった経験があるわけでもありません。自分が本当の意味で戦う当事者になれる場所は、母校である京都大学アメリカンフットボール部しかないと考えました。

当時のチームは指導者不足などの課題を抱えており、私自身も手伝いたいという思いから、以前から関わる機会を探っていました。東京に残らなければならない事情もなく、京都に戻れる状況が整ったタイミングで退職を決断しました。

周囲から反対されることもありましたが、自分の思いに正直に行動したいと考えました。特別な存在になりたいという気持ちも含めて、自分が進みたい方向へ踏み出した選択でした。

 

——今後のキャリアに悩む現役の体育会学生へ向けたメッセージをお願いします。

 

何をするにしても、最も大切なのは熱量だと思います。社会人になれば、その熱量は仕事の成果として評価され、報酬にもつながります。一方で大学時代は、対価がなくても自分の目標のために本気で打ち込める、貴重な期間です。まずは、今取り組んでいることに全力で向き合ってみてください。

就職活動でアピールできる経験を探すために、新しいことを始めようとする人もいます。しかし、何かを外に探しに行く前に、今いる環境で自分がどれだけ本気で取り組んできたかを振り返ることが大切だと思います。

自分が4年間で何に熱中し、どのような場面で力を発揮してきたのか。それを知るには、自己分析の本を読むだけでなく、一緒に頑張ってきた同期や、本気で指導してくれたコーチに聞いてみることも有効です。自分では気づいていない価値を、周囲の人は見てくれているはずです。

 

山本 睦(やまもと あつし
京都大学アメリカンフットボール部 GANGSTERS コーチ

兵庫県の甲陽学院中学校・高等学校出身。2011年に京都大学工学部へ入学し、未経験からアメリカンフットボール部に入部。ワイドレシーバーとして4年間プレーした後、3年間学生コーチを務め、そのうち2年間はオフェンスコーディネーターを担当した。

2018年に日本テレビへ入社し、報道局政治部で総理番や野党担当記者を経験。2021年にスポーツ局へ異動し、プロ野球の読売ジャイアンツなどを担当した。2022年に同社を退職し、2023年より母校である京都大学アメリカンフットボール部のコーチに就任。現在に至る。