プロのオファーを断り人事へ。圧倒的な「量」で最速でリーダーへ駆け上がった体育会人材の戦い方——同志社大学フットサル部 OB 津田真之介
同志社大学フットサル部でプレーし、アンダー世代の日本代表候補にも選出。プロからのオファーを受けるほどの実力を持ちながらも、津田さんが最初のキャリアに選んだのは、レバレジーズ株式会社での新卒採用人事でした。
入社後は同期最速でリーダーに昇格し、現在はチームマネジメントや採用戦略の中核を担っています。一見すると順調にキャリアを築いてきたように見えますが、その背景には、高校時代に直面した「才能の壁」と、その経験を通じて培われた「誰よりも圧倒的な量をこなす」という考え方があります。
今回は、スポーツを通じてどのように「負けに向き合う力」を身につけ、感情とパフォーマンスを切り離して行動できるようになったのか、そしてその経験がビジネスの現場でどのように活きているのかについて伺いました。

——津田さんの現在のお仕事と簡単なご経歴を教えてください。
2022年に新卒でレバレジーズ株式会社に入社し、現在は新卒採用人事を担当しています。従業員数が1,200名から約4,000名へと急拡大する環境の中で、採用に関わる幅広い業務を経験し、入社2年目で同期最速となるリーダーに昇格しました。現在は、チームの目標達成に向けたマネジメントを中心に、学生一人ひとりのキャリア選択に向き合いながら、自社の新卒採用目標の達成に向けて日々取り組んでいます。
学生時代は、競技の世界に長く身を置いてきました。小・中・高校時代はサッカーに打ち込み、浪人期間中にFリーグの下部組織であるデウソン神戸に所属したことをきっかけに、フットサルと本格的に出会いました。
その後、フットサルに本気で打ち込める環境を求めて同志社大学へ進学しました。入学後はフットサル部で1年生からトップチームでプレーし、全国大会3位、アンダー世代の日本代表候補選出、関西ベスト5選出などの実績を残しました。3年時には複数のプロチームからオファーをいただきましたが、悩んだ末にビジネスの世界へ進むことを決意し、現在に至ります。
——プロへの選択肢もあった中で、なぜビジネスの世界、そしてレバレジーズを選んだのでしょうか?
プロチームからオファーをいただく一方で、人生の多くの時間を占める「仕事」について改めて真剣に考え直したことが、大きなきっかけでした。週40時間以上を費やすものだからこそ、自分が何に時間を使い、どのような価値を生み出したいのかを深く考えるようになりました。
また、日本代表候補に選ばれた経験を通じて、「世のため人のためになり、同時に自分自身も成長できる仕事がしたい」と考えるようになりました。
そこから就職活動を進めていく中で、さまざまな社会人の方とお話しする機会が増えました。その中の一人である投資家の方から、「日本を良くする方法は『政治家』になるか『事業家』になるかの2択しかない」という話を伺い、それが非常に腑に落ちました。
私自身も、社会が前に進んでいく実感として、新しい事業やプロダクトが生まれることに強いインパクトを感じていたため、「事業を創る側」を目指すことを決めました。
その中でも、もともと人や組織に対する関心が強かったことから、「人・組織」というテーマで事業に関われるレバレジーズが、自分に最も合っていると感じました。
——新卒で人事に配属される中で、どのようにして同期最速でリーダーに昇格されたのでしょうか?
新卒でいきなり人事に配属される上で最大の壁は、自社の現場、たとえば営業などを経験していないにもかかわらず、その魅力を学生に対して自信を持って伝えなければならないことでした。
この課題を克服するために徹底したのが、「他者の経験を圧倒的な量で疑似体験すること」です。全事業部・全レイヤーのリクルーター面談の録画に目を通し、内容をテキストに落とし込みました。さらに、インプットした内容をすぐに自分の言葉で使えるようにするため、人の何倍ものロールプレイングを重ねました。
その根底にあったのは、自分自身に対する客観的な認識です。自分は一度で習得できるタイプではなく、人が1回で身につけられることでも、自分は3〜5倍の量をこなしてようやく身につく。
だからこそ、人と同じペースで進んでいては差は埋まらないと考えていました。
そのため、常に人の倍以上の行動量を担保することを意識していました。たとえば、先輩が勧めてくれた本は必ず読み切り、さらに関連書籍まで広げて学ぶといった形です。そうした圧倒的な行動量を、1年目から継続して積み上げてきました。その積み重ねが、同期最速でのリーダー昇格につながったのだと思います。

——今でこそ輝かしいご経歴ですが、高校時代には「人生最大の挫折」があったと伺いました。当時のことを教えてください。
私の人生最大の挫折は、久御山高校3年生の時、集大成である選手権のわずか1か月前にサッカー部を辞めたことです。
3年間、親に毎朝5時に起きてお弁当を作ってもらい、片道2時間かけて通学していました。「誰よりも努力している」という自負はありましたが、部員数が多くAからFチームまである中で、高校3年になってもBチームで試合に出られるかどうかという立ち位置でした。
転機となったのは、3年生の夏の終わりに行われた試合です。誰よりも練習してきたはずなのに結果が出ない現実に直面し、「いくら努力しても埋められない才能やセンスの差がある」と強く感じました。その瞬間から、普段はプレーに集中しているはずが、その試合では全く別のことばかり考えるようになり、「これまでの努力は意味があったのか」という大きな喪失感を覚えました。
さらにもう一つ、気づきがありました。高校2年・3年時にはフットサルの大会にも出場していたのですが、3年時に京都府大会で敗れた際は大号泣した一方で、サッカーのインターハイで敗退した時には涙が出なかったのです。その時、「自分はサッカーに対して、そこまで強い情熱を持てていなかったのではないか」と初めて自覚しました。
こうした「才能の壁への限界感」と「競技に対する熱量の差への気づき」が重なり、サッカーを続ける意思を失い、辞める決断に至りました。
——一度サッカーから離れた後、なぜ再びフットサルで日本代表候補にまで登り詰められたのでしょうか?
一番大きかったのは、多くのサポートをしてくれた親に対する申し訳なさと、サッカーで結果を出し切れなかった悔しさです。3年間支えてもらいながら最後までやり切れなかったことへの後悔が強く残っていました。
だからこそ、サッカーで消化しきれなかった思いをフットサルにぶつけようと決意しました。フットサルに人生を懸けるつもりで、浪人中からFリーグの下部組織に飛び込みました。その後、インカレを見て大学フットサルの面白さに惹かれ、「この舞台で本気で挑戦したい」と思い、同志社大学を目指して勉強しました。
大学で成長できた要因は、高校時代の反省を活かせたことにあります。高校時代は、朝3時に起きて好きなドリブルの練習をするなど、努力の“量”自体は積み上げていました。ただ今振り返ると、その努力が「試合で勝つこと」に直結していませんでした。本来はドリブルの技術以上に、フィジカルの強化や得点への執着が必要だったにもかかわらず、自分のこだわりに偏ってしまっていたと感じています。
一方、大学フットサルでは、本来自分がやりたかったアラ(ドリブル主体のポジション)ではなく、適性を見出されてピボ(フォワード)にコンバートされました。そこで、自分のやりたいことに固執するのではなく、求められる役割の中で結果を出すことの重要性を学びました。
結果として、適性のあるポジションで成果を出し続けることでプレーの幅も広がり、この経験が日本代表候補につながったのだと思います。
——そうした競技経験は、現在の仕事にどのようにつながっていると感じますか?
最も大きいのは、スポーツを通じて「負けに向き合う力」が身についたことです。
スポーツを抽象化すると、「確率論の世界」だと考えています。どれだけ練習を積み重ねても、必ず結果が出るとは限りません。たとえばシュート練習を100本こなしても、次の試合で必ず得点できるわけではなく、成功確率がわずかに上がるに過ぎません。つまり、成功よりも失敗や負けを経験する回数の方が圧倒的に多い環境です。
こうした環境で競技を続けてきたからこそ、失敗に対して「なぜできないのか」と過度に落ち込むのではなく、「失敗は前提として起こるものだ」と冷静に受け止められるようになりました。この感覚があったことで、社会に出て壁にぶつかった際にも、「最初から完璧にできるはずがない」と自然に捉えることができました。
失敗に対して感情的に落ち込む時間をできるだけ短くし、「では次にどうすればできるようになるか」という思考にすぐ切り替える。このサイクルを回す習慣は、間違いなく競技生活の中で身についたものです。また、プライベートの出来事や一時的な感情の浮き沈みに左右されず、モチベーションとパフォーマンスを切り離して一定の成果を出し続ける姿勢も、スポーツの現場で培われました。

——最後に、体育会学生へメッセージをお願いします。
「最後まで体育会の活動をやり抜いてほしい」と強く伝えたいです。
就職活動を理由に体育会の活動を途中で緩めたり、距離を置いてしまう学生は少なくありませんが、個人的には非常にもったいないと感じています。中には、学生時代からインターンに参加するなど、ビジネス経験を積むことで一時的なアドバンテージを得ているケースもあります。
しかし、社会人としてのキャリアは、短距離走ではなくマラソンのようなものです。最初の10km地点で一時的に差がついたとしても、最終的にゴールテープを誰よりも早く切ればいい世界です。
その長いキャリアの中で最後に差を生むのは、短期的に身につくスキル以上に、「やり切る力」や「逆境でも粘り続ける力」、「組織の中で役割を全うする姿勢」といった、体育会での厳しい環境の中でこそ身につく力だと思います。
だからこそ、4年間を中途半端にせず、最後まで全力でやり切ってほしいです。その経験は、社会に出たときに確実に自分を支える大きな武器になります。
津田 真之介
レバレジーズ株式会社 新卒採用人事リーダー/同志社大学フットサル部OB
サッカーからフットサルへ転向し、同志社大学では全国大会3位、U世代日本代表候補選出などの実績を残す。3年時に複数のプロオファーを得るも、事業創出を志しレバレジーズへ入社。新卒採用人事として入社2年目で同期最速リーダーに昇格し、採用戦略・組織マネジメントを担う。